学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

心配性の自分

 

 彼女との関係の中で私が意識的に行ってきたことは、あえて学会関連の話をしないということ。こういう話になると面倒と言うこともあるけれど、結局収拾が付かなくなってしまうから。そんな空間を共有したくないし、向こうにもそれで嫌な思いはしてほしくない、と私は考えていた。

だが意識的に避けたことが結果として相手に冷たいという印象を与えてしまったみたいだ。これはもしかしたら私なりにわざとやったことなのかもしれない。あえて気付いてもらおうと。浅はかだったなあ。そして何より学会関連の話をする彼女は忙しそうにしていた。やることは意外と多く、仕事終わりで駆けつけることもしばしば。そんな彼女にいつも私は「無理をしないでね」と声をかけていた。

彼女はあまり体が丈夫な方ではなく、疲労が溜まると体調を崩しやすい。だからこそ普段から人一倍気を付けてほしいと思っていたが、成熟した女性に説教するようなこともあまり望ましいことではないと考えたため細かいことは言わず、ただ「無理をしないでね」と声をかけることに決めていた。

それともうひとつ。何か人に頼めることは人に頼む。人に甘えるということはとても大事なことだと思っている。自分一人で抱え込んでしまうと、いざ自分が何もできなくなったときに困ってしまうのは周囲だということ。自分の負担をなるべく減らし且つ周囲に任せることの出来ることは触れておいてもらう。自己防衛の手段であるとともに周囲を守ることにもなる。私はそんな思いで「頼めることは頼んだっていいんだよ」と声をかけていた。これも、彼女が人に甘えることが苦手ということを知っていて心配だったからだ。抱え込んでにっちもさっちもいかなくなるよりよほどましだと私は考えていた。

 

私の伝え方がへたくそだったんだろう。それがうまく伝わっていなかった。彼女には「器用に生きる」と言うふうに伝わっていた。私は器用に生きるだけが大事ではないと思う、結局なんでも頑張っていなければ敵わない相手がいる、と。こう取ってしまった彼女が悪いわけではない。伝わるだろうと安易に考えていた私がまずかった。確かに、捉え方によってはこの人物像は「器用に生き」ているのだろう。器用に生きることは全力の人間より劣っているのだろうか。卑怯なのだろうか。

何かあるとすぐに自分を責める。自分を貶める。それが悪いことではない。自分を厳しく評価することができる人間はなかなかいない。今の状態で満足してしまえば楽だから。でもそれと引き換えに、彼女はたまに薄い影になって消えてしまうのではと思うことも多々あった。きっと本人も辛いのだろう。思い通りにいかない歯がゆさや自分の不甲斐なさが。

でも、そんなことで彼女にいなくなってしまわれたら私が困る!

私にとって彼女の代わりなどいない。一人しかいない、たった一人しかいない大切な人だ。人がどんな評価をしようと、自分で自分自身に最低評価をつけたとしても、私が花丸でもなんでもくれてやる!100点だろうが200点だろうがくれてやる!

 

だから、あなたが大切だと思っている信仰と同じくらい、自分の事を大切にしてあげてください。

 

逃げるは恥だが役に立つ