学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

世間は都議選だってさ

 

いやいや、相当放置してしまいました。のらです。

書きたいことはたくさんあったのですが、文章にする気力が起きず放置してしまいました。大変失礼いたしました。とは言ってもこのブログを目にするのは通りすがりの数名でしょうから迷惑など起きてはいないんですけどね(笑)

 

さてさて東京は都議選一色だそうですよ。彼女もその関係でしょう、かなり忙しそうです。平日真っ当に働きながら、土日は組織の関係で動いているようで、疲弊しているなとは感じますがそれを指摘されたくないのか「大丈夫だよ!」と元気に応対してくれるのがなんだかさみしいものです。

 

これは私が選挙権を取得する前、母が学会活動をバリバリこなしていた頃の話です。

その時の選挙では公明党が苦戦を強いられていた様に記憶しています。夜中の開票速報を見ていた母が段々と不機嫌になってゆくのが手に取るようにわかりました。その時の内心まで事細かにわかったわけではありません。これだけ頑張ったのにどうして、この支援活動に何の意味があったのか、そう考えたかはわかりませんが、結局朝を迎えても母の機嫌が直ることはありませんでした。

 

外部である父にも支援を依頼していましたが、今思えば政治的知識で父に勝てるレベルであったかは非常に懐疑的でありましたし、現在至ってはそういった政治の話すら全くしない人間となってしまった母を見るにつけ、やはり公明党の支援活動に関して言えば政治を監視するなどと言う高尚な志の下行っていたわけではなく、創価学会がそういった方針だった、そしてF取りなどの成果報告をしなければならない状況があった、そして何より選挙活動をすることで功徳を得られるという思いがあったのだと思います。

 

私は創価学会の選挙活動をおかしいとは思っていますが、別に声高にやめろと叫ぶつもりも毛頭ありません。嫌なら止めればいいし、良いと思えばすればよい。それにそもそも、学会員に公明支援をお願いされても私は入れませんと宣言するか、公明党に入れなければよいだけの話です。記入した内容まで学会員が把握できるわけではないのですから、完全に投票をコントロールされているわけではないと言えるでしょう。

ただ良くわからないのは、国政選挙ならともかく地域の特色が色濃くでる地方選に関して、他道府県民が介入してくることです。これは創価学会に限らない話かもしれませんが、これでは結局地方分権なんて夢のまた夢ではないかと私は思うのです。地方政治の大部分は中央と同じ力関係を未だに維持していることを見ると、どうしても地方は中央の出先機関のように見えてしまうのです。国会ではなかなか与党に鋭い追及が出来ない野党ですが、地方政治で同じような姿かと言われればすべてがそうとは限らないと私は考えています。もしかしたら中央で野党として活動している党の公認を得ていながら、中央とは違い地方に寄り添った活動をしているかもしれません。

つまり、中央と地方を同じ括りで考えて、贔屓の政党ありきで投票に行くことは決して正しい政治参加とは言えないのではないかと、こう言いたいわけであります。

大事なのは各候補者が何を考え、どう実行に移そうとしているのか。そしてそれは今の自治体に必要な活動なのか、それを監視することが私達にできる重要な政治参加なのではないかと考えているのです。

 

少し話が逸れました。そういった感じで、選挙が近くなると投票地域に一斉に「地域交流」といった名目でなだれ込んでくる学会員さんにはもう少し冷静に考えていただきたいと、私は思っています。

 

 

そしてもうひとつ、池田大作氏の事です。

創価学会では色々な派に分かれている印象を受けます。その中でも特に多いのは池田大作氏の志を利用している現在の組織としての創価学会公明党を声高に批判する学会員です。

創価学会ではもうずいぶんと前から池田氏が会員の前に姿を見せていません。確か私が中学から高校にかけての出来事だったと思います(こんなことを書くと年齢がばれますね笑)。

姿を見せなくなってからも相変わらず本部幹部会では池田氏の数年~十数年前のスピーチの様子を映像で流し、池田氏の唱題の声に合わせてお題目を唱えることもありました。やはり学会員には池田氏がなくてはならないのだな、とその時の私は思ったものです。

あれから10年くらい経ちましたか。未だに池田氏はお元気で世界の著名人と対話をし、顕彰もされているらしいですが、実際にその姿を目にしていないので何とも言えません。

 

さて、こんな話をなぜしたのか。それは先に出た池田派且つ現在の組織に疑問を持っている方が多い、という点に繋がります。

学会員の中には「池田氏高齢だから無理はできない。それに池田氏の姿がなければなんなのか、それが信仰に関係するのか、創価学会の今後を左右するのか」という意見を持つ方も意外といらっしゃいます。その通り。

池田氏がいようといまいと信仰というものは揺らぎません。信仰とは心の作用であって、人に左右されるものではないからです。しかし実際にはその行動原理は池田氏の一挙手一投足に集まっているように感じるのは私だけでしょうか。

「全ては先生のため」

このような言葉を良く聞きます。だから公明党を支援する、だから折伏をする、だから新聞啓蒙をする…。ううん、これはちょっと違うんではないかな、と私は思うわけです。

公明党を組織したのも、創価学会本部を、そして聖教新聞を指揮したのも池田氏です。会員は恐らくそう思っているでしょう。であるならばそこには大きな責任が伴います。今現場の会員は迷いながら活動しているように私には見えます。そんなときにこそ敬愛されている池田氏の指導や助言が必要なのではないでしょうか。組織を律し、現場を安心させるその責任があります。それすらできないのは池田氏の発言が届かないよう組織がコントロールしているなんて意見も見かけましたがそれこそ笑いものになる話です。一方では池田氏の著作が聖教新聞に載り、一方で池田氏は組織にがんじがらめにされているなんて、なんとも矛盾だらけの話じゃないですか。もしもう組織を律するだけの力がないのであればそれは、たとえ肉体は生きていたとしても創価学会という巨大組織のトップとしての池田氏は死んだも同然です。

 

そんなこんなを考えながらも、彼女とは創価なんか飛び越えて、毎日楽しく暮らせればこれに越したことはないなあと思う次第です。結局好きなもんは好きでしょうがないもんね。私にはそれを宗教と天秤にかけることはできないや。

 

                                    のら