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学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

組織ありきなのか

 

ここ数日風が強く、洗濯物が埃っぽくてがっかりきているのらです。

 

私は活動しておらずとも籍は創価学会に置いております。なので他宗がどのような指導をされておられるのかは存じません。そのことを承知の上で、創価学会の事に関して書いていきます。

 

創価学会は組織と、そして永遠の指導者である池田大作氏から離れてはならないと指導されています。そこから離れてしまっては我見の信心になり、信心が歪むとそう教えているのです。

ではそこから離れなければ絶対に信心が歪まないのかと言えばそうとも限らない。寧ろそこに悩んでいる会員はかなり多いと思います。今の組織の方針は正しいのか、自分はこのままでいいのだろうか、信仰と政治は同じ土俵で語っていいのか…。悩みは尽きないことと思います。

例えば一般企業。会社の重役が何か問題を起こしたとします。そうなれば会社のトップである代取、社長、会長等もその責任は免れません。これは社会の常識です。しかし宗教組織、とりわけ創価学会は違う。池田氏がいまだどれだけの影響力を持っていようとも、会員はその下の堕落した幹部が池田氏を利用し、組織を食い物にしているなどと言う理屈を持ち出してくる。じゃあそれを見過ごしている池田氏はどうなるのかと。今や幹部に手も足も出ないとするならば、毎日あれほどの執筆をされているのだから、自身の思いを、末端の会員に対して表明してもいいのではないかと思うのです。…まあそんなことしないと思いますが。

 

昔、オウム真理教が大きな事件を起こし問題となりました。その後の裁判でオウム真理教に解散命令が下されたとき、我が国の憲法第19条【思想及び良心の自由】、20条【信教の自由】、21条【集会・結社・表現の自由】との関係性が争点となったことがありました。つまり、裁判所のオウム真理教解散命令は、憲法の保障する思想良心の自由、信教の自由、集会・結社の自由を侵害しているのではないか、と。

 

結論から言えば、オウム真理教は解散しました。解散命令は合憲だったわけです。

この時のロジックはこうでした。

  1. 解散命令は世俗的目的で判断され合理的
  2. 当該法人の行った行為が反社会的で公共の福祉を害している
  3. 信者の信教行為への支障は間接的・事実上のものである

この3点が主な判断基準でした。

3つ目にアンダーラインをし、赤くしたことからもわかる通りです。

宗教組織への帰属と言うのは信教行為にさほど影響は与えないというのが世間一般の考え方なのです。もちろんここには、オウム真理教の教義から信者を引き離さなければ、同じ人間がこれから絶えず出続けるという危惧もあったとは思います。しかし判例として確立されている以上、個人の信教というのは組織に帰属しなければ完結しないというものではなく、あくまで個人の中で完結すべしというのが世間一般の認識なのです。

裏を返せば上記3番の如く、宗教組織の信者に対する影響力は間接的で事実上のものでしかないということ。これを創価学会の中では絶対としていること自体、ある種異常な状態と言ってもいいかもしれません。

上記の記述はあくまで裁判所の出した結論、判例であって世の中がすべてその考えで回ることが良いとは思いません。その組織ごとに色々な考え方があっていいと思います。しかし、組織がなければ信仰が保てないのだとしたら、それは最早信仰と言えるのでしょうか。

 

付け加えるとオウム真理教は解散後に新たな組織「アーレフ」を立ち上げ、信仰を続けました。これが正しいか正しくないかはさておき、組織ありきの信仰ではなく、信仰あっての組織だと痛感しました。

 

オウム真理教が宗教組織であったかはまた別のお話…。