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学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

幸せの形

創価

 

昨日は暖かかったのに今日になったら急に冷え込みましたね!!

寒暖の差が激しく体が動揺しているのらです。

皆さん、体調崩さぬよう気を付けてくださいね。

 

母から「幸せになるため」と教わった学会の活動。

皆さんの幸せってなんでしょうか???

寝ること?

食べること?

運動すること?

死ぬほどゲームをすること?

映画三昧の休日?

大好きな仕事をしているとき??

 

この中に正解があるとすれば…全部じゃないでしょうか(笑)

そもそも幸せに正解も不正解もないんですよね。逆だってそうじゃないですか。お金がないから不幸かと言われればそういうわけでもない。子どもがいない夫婦は不幸かと言われればそれも違う。幸か不幸かは立場や人間性、捉え方によって様々です。だから自分が幸せだと思うことを人に押し付けたからと言って相手も幸せになるとは限らないんですね。これ、意外と盲点だったりします。

 

前回の記事「学会員の弱点-学会員と付き合うポイント-」で書いたように、学会員である彼女には大きな弱点がありました。

  1. 自分に対して完璧主義
  2. 自分を褒めず、責任だけを背負い込む

この弱点故に自分はダメなんだと思い込みやすい傾向にあると書きましたが、そこにはもう一つ、ある要因が潜んでいました。それは…

 

「外部の人の方が幸せそうに見える時がある」

 

これだったんですね。

自分は絶対幸福の信心をしているはずなのに、外部の方が幸せに見える。ここで末期の方は「いつか不幸が…」とか「あんなのは表面上の幸せだ」とか言うんです。私の近くにもいました。そうやって言いたい奴には言わせておけばいい。ただ、外から見ればその物言いは“外部の幸せそうな姿に嫉妬している”ようにしか見えない、と言うことは良く覚えておいた方がいいと私は思います。

問題なのは末期ではない方、要は私の彼女のようなタイプなんです。このタイプは相手に干渉するでもなくただ落ち込んだり考え込んでしまったりする。こうなるともうどうしようもない。外から幸せそうに見える人でも、本当は何かを抱えて生きているかもしれないという可能性がなかなか見えてこないんです。

考えてみてください。自分がしていることは間違いないと確信しながらも、自分が幸せなのか悩む人間と、色々抱えながらも楽観的に幸せそうに生きる人間。どちらが心の健康を保てそうですか?

多分大多数は後者を選択するんじゃないかと思います。悩みに負けない、何事にも乱されない自分を形成するはずの信仰によって自分自身がぶれる、本末転倒な結果になってしまっています。これではいけないんですよね。折伏や新聞啓蒙、選挙活動を教える前に、本当はこういったことを教えなければいけないんだと私は思います。あ、あくまで私が運営するならの話ですよ!(笑)

 

私は、彼女とは持久戦になると思っているのでこういった殺傷能力の強い言葉を使うつもりはありません。しかし、相手の考えに思いを巡らすことは理解することにもつながります。その意味で日々のやりとりを軸に、相手がどう感じ、何を考え、話をしてくれたのかをこうした形で残しておきたいと考えています。

 

 

それにしても、どこに行っても袋のネズミになる教えってすごいですね。驚嘆してしまいます。

  • 本人が幸せだと感じる  →学会のおかげ
  • 本人が幸せだと感じない →信心が足りない
  • 本人が脱会したいと思う →魔が競い起きている
  • 脱会を踏みとどまる   →魔に打ち勝った
  • 脱会した        →あいつは負けたと組織内で反面教師

この中で特に怖いのが5つ目の項目、「組織内で反面教師にされる」というもの。

これ、辞めた人が困るんじゃないんですよ。むしろターゲットは中の人。辞めた人間はこうやって組織内で言われるんだ、と刷り込んでいくんです。もちろん組織によって全く話に出さなかったり、言葉を濁し、病気のため実家に帰ったとかいうところもあります。ただ個人同士の話になると必ずそういった話が出ます。特に婦人部同士の会話と言うのはそこいらのおばちゃんと基本変わりませんからね(笑)

こういったことを無意識のうちに見て育つことで、否定的な考えを自然と排除するようになっていきます。こうやって、組織に就くことが幸せへの近道という認識になっていくんですね。

 

 

あらま、タイトルと関係ない話になってしまいました。それではこの辺で。