学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

信心強情な彼女との付き合い方

 

今回は、「創価学会員としての歴史(3)」で出会った彼女との関係を書いていこうかと思います。

 

彼女との出会いは学園時代。そこから彼女はバリ活、私は非活へと進んでいきますが、なんだかんだうまくいっております。互いのスケジュールが合わず(主に相手が活動で多忙のため)月に2度会えればいい方ですが、それもちょうどいい距離感なのかもしれません。そんな交際期間を経て、学会員であるパートナーとのうまい付き合い方も学ぶことが出来ました。ポイントはたったひとつ。

 

 

創価学会や活動を批判しない』

これが最大のポイントです。

私達非活や外部の人にとっては創価もその中の活動も、ましてや池田大作氏への尊敬も存在しません。しかし、学会員は、外部には考えられないほどの忠誠心と尊敬を持ってその人生を賭けています。「信心は勝負」だなんて言葉からもわかりますよね。それを容易く批判することは即ち人生そのものを否定することに他なりません。外部の人は学会員であるパートナーに、学会での人生がすべてではないことを気付いてほしいが為、厳しい言葉をかけてしまいがちです。ですがそれでは全くの逆効果です。我々の思いであるところの“信仰は当人の意思を尊重してほしい”を通したいならば、相手の創価学会への信仰心も認めていくべきなのです。まずはそこがスタートラインであることを肝に銘じましょう。

 

とはいえ、お互いの権利を主張すると色々と弊害が起きてきます。

特に顕著なのは相手がバリ活であればあるほど二人の時間はなかなかとれない、ということ。選挙期間や学会にとって大事な時期は特に時間がありません。こちらが合わせるというようなレベルではなく、そもそも仕事と活動で空き時間等無いという有様。

これに関してはそういったライフスタイルの人と付き合っていると割り切ってしまった方が楽かもしれません。これを言ってしまったら元も子もないですが、学会員と付き合っているならば妥協が大事です。相手が覚醒する機会に恵まれるまでは妥協をし、問題は棚上げ状態にしておいた方がお互いの為だと思います。ただ逃げているだけだという批判も重々承知ですが、実際に付き合ってみると綺麗ごとだけでは解決できない問題がたくさん出てきます。それをいちいち表面化させていたら身が持ちません。結婚前に問題をクリアにしたい、という方がいらっしゃるのであれば何も言いませんが、どちらかが信仰・心情を捨てるゴールを目指すのであれば不毛な戦いになると思います。本来目指すべきゴールは、互いの思想信条を尊重し合える関係であって、妥協してどちらかの思想を受け入れ、同じように信仰するというのは間違った形だと、個人的には考えています。

 

ここまではあくまで“男女の付き合い”の上でのポイントでした。

しかし、年齢を重ねるにつれて意識するのはやはり「結婚」ですよね。私達も先日そんな話がぽろっと出ました。そこで改めて私の「信仰を否定するつもりはないが、私は今のところ関わるつもりはない」というスタンスをはっきりとさせました。彼女は困ったような顔をしていたのが印象的でした。

私が外部であれば話はもう少しマイルドになったかもしれません。しかし私は内部、曲がりなりにも学会員である身。そんな人間が「信仰はしない」と言っている。相手のご両親からしたら印象は最悪でしょう。そもそも信仰は個人の自由なのですから特定の信仰をしないことで印象が最悪、なんていう状況がおかしいのですが、創価学会では信仰を捨てる行為は「恩をあだで返す行為・師匠に背く行為」であって罰があってもおかしくないことだと教えられています。ですから 私は、相手のご両親からすれば「忘恩の輩・師匠の思いを無下にした裏切り者」であり、そんな相手との結婚は簡単に認めてるわけにはいかない、というところでしょう。

彼女に質問してみました。

「私が外部だった場合でも、やはり創価の信仰はしてほしいか?」と。

彼女の答えは「できればそうしてほしい」ということでした。

 

彼女は、相手の思想が自分の信じるものに近付いてくれればという思いと共に、両親と仲良くやってほしいとの思いから、創価の思想を持ってくれればという考えでした。同じ思想でなければ仲良く出来ないわけでも、家族としてやっていけないわけでもありません。そうしなければいけないのであれば最早創価学会はグローバル宗教団体でも多様性を認める人間主義団体とも言えず他者を認めない排他主義の独善団体に過ぎません。こんな言い方はしたくありません。しかし、こちらは創価学会の主義思想や活動を認めると言っているにも拘らず、こちらの思想は受け入れることが出来ないというのは、やはり排他的と言わざるを得ません。

 

話が脱線してしまいました。

本来は互いの、相手を思う気持ちが最重要であるはずの結婚が宗教観の排他性によって上手くいかなくなってしまう。又人が幸せになるはずの宗教によって悩む人間が出てきてしまう。これは本当に悲しいことだと思います。

私も含め、同じような問題で悩んでいる方はたくさんいらっしゃると思いますので、私自身の今後の動向も含め、結婚に対するアプローチなど参考になりそうなことは記事にしていきたいと思っています。

今回はあくまで「彼氏・彼女」との付き合い方という観点から書かせて頂きました。