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学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

創価学会員としての歴史(5)

 

前回「創価学会員としての歴史(4)」で私の学会と学会員に対する疑問は固まっていきました。そして地元組織での出来事が、完全非活へと繋がっていきます。

 

私の地元学生部はそこそこ活動者がいる至って普通の組織でした。私がまだ学生部として顔を出していた頃、選挙権を得て初めての選挙がありました。当然選挙権のあるメンバーには選挙活動が期待されます。当時の地域学生部の幹部から集合の号令が何度もありましたが、私は行く気にはなれませんでした。そもそもなぜ自分が幸せになるための信心が特定政党を支持することにつながるのか、私には理解が出来なかったからです。今となっては理解できない人間でよかったと思いますが。

なかなか号令になびかなかった私の元に学生部幹部が訪問してきました。そして、選挙の重要性や公明党の実績、そして友人にそのことを語ることの素晴らしさを語り始めました。こういった場面で自分の立場(選挙活動はしない)をぶつければよかったのですが、当時の私は実家に暮らしており、母親がいる手前はっきりと話すことが出来なかったのです。当時は母もしっかりと活動していましたから。

私の曖昧な態度に業を煮やしたのか、はたまたいけると思ったのかこう切り出しました。

「幼稚園の名簿はある?多分小学生時代は個人情報の関係で作ってないと思うから」

私はその発言の趣旨がよくわかりませんでした。すると

「電話でも訪問でも、選挙頼んでみようよ。懐かしいだろうしいい思い出だよ!」

要は選挙を頼むための当たり先を出してこい、と言うことでした。その名簿を元に公明党を支援してくれる人を探し出してこいと。この、人の交友関係をただの票集めの道具のように扱う様はまさに「選挙屋」そのものでした。この時は選挙が自身の功徳につながるとかそんな話すら出ず、ただただ公明党を勝利させることが、師匠である池田先生への恩返しになるというその一点だけだったのです。

当然そんなことに友人を関わらせようとも思えず、その場は何とかはぐらかし帰ってもらいました。会合へは信仰心からではなく、母親の機嫌を取っておきたいと思い参加していた私からすると、公明党の勝利も、池田氏への恩返しも関係のないことでした。

もっと言えば私が頼んだからとほいほい投票先を変えるような友人100人よりも、自分なりの意見を持って真正面から政治の話ができる友人が10人いれば私は満足です。

 

この考え方は折伏にもつながります。

私が選挙権を得る前に、創価学会として重要な「2月闘争」が巡ってきました。…正直何の事だか未だに理解していませんが。この時期は各各組織の折伏目標を達成するため、どこも躍起になっています。このときも件の幹部が「折伏しよう!」との声掛けに訪問してきました。地元での交友がほとんどなかった私は折伏どころか遊びに誘う外部の友人などいなかったのです。このことを挙げ、折伏は無理だと話しました。すると幹部は

折伏できる友達を作らせて下さい、悩みのある人間と出会わせて下さい、ってご本尊に祈るんだよ!」

との指導。もう、全く訳が分かりませんよね。なんでわざわざそんな友人を祈って作らなきゃならないんでしょうか。周りに悩みのパッと浮かばない人間しかいないならそれでいいじゃないですか。切羽詰まった悩みがある人間なんかそうそういないんです。それを祈って見つけろだなんて、幸せになる信仰の真逆を言っているようにしか私には感じられませんでした。

 

こういった組織での出来事が、完全に私を組織から遠ざけました。これでよかったんだと思います。そもそも読んで字の如く自分が「信じて仰ぎ見る」存在だからこその信仰なんですよね。それが創価学会にはありませんでした。信じているかどうかは関係ない。親が、子どもが創価学会を信じられるようにどう教育できたか、それが大事なわけです。その時点で創価学会は宗教と呼べる代物ではないと私は考えています。

 

この辺りで私の創価学会員としての振り返りを終わりたいと思います。

こうして振り返ることで、私がどの点でどう感じ、今につながっているのか、なんとなく自分自身が理解できたような気がします。

次回は真面目な学会員の彼女とのエピソードか、私なりの「創価学会」に関して書いていこうかと思っています。