読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

創価学会員としての歴史(4)

創価

 

前回「創価学会員としての歴史(3)」で、組織との関わり方に関して自分なりのスタイルを模索した、と書きました。その模索が大学生になり遂に確固たる形として確立します。

 

大学は創価大学でした。当然内部率、つまり創価学会員率が高いです。様々な授業が存在しましたが私は文系だったため宗教や哲学に興味を持ち、そういった方面をいくつか受講しました。そういった講義内ではやはりと言うべきか、創価学会池田大作氏の話を出す講師も存在しました。そういった話が出ると大きくうなずきながら真剣にメモを取る学生が非常に多かったように感じます。それほど学会や池田氏に関する知識は、創価大学生にとって重要だったのでしょう。

 

印象的だったエピソードがあったので、ここで一つ紹介します。

私が歴史学系の講義を受講した時のことでした。

当講義は終了後、講師が学生との懇談時間を設け歴史や宗教観など多岐に渡るディスカッションを行っていました。これに友人と参加した時です。ほかにも何人か学生がいましたが、その中の一人に外部、つまり創価学会員ではない学生がおり、その方がぽろっと漏らしたのです。

創価大学の学生は自分がない。みんな作られた機械みたいに同じことしか言わない」

まさにそうだと思います。池田氏創価学会の知識は創価学会から教わったもの。当然皆が同じような知識しか持ち合わせていません。学会の勧誘である「折伏」時にはこの知識を総動員して相手を勧誘します。恐らくこの学生も何度か折伏されたのでしょう。その経験あっての発言だったのだと思うのです。

「皆同じことしか言わない。機械みたい」

この言葉は既に学会員ながら非活を決め込んでいた私の胸に深く刺さりました。私も何度か地元の学生部長に“折伏をしよう”と詰め寄られていましたが、我々がやろうとしていたことは外から見ればこの程度にしか見られていない、むしろ折伏で時間を取らせてしまうことがとても申し訳なく感じられました。

…まあ折伏なんて一度もやったことないんですけどね。(笑)

 

これと同時期に地元の学生部で、やはり創価学会とその活動に違和感、いや疑問が浮かんだ出来事がありましたがそれは次に書きたいと思います。