学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

創価学会員としての歴史(3)

 

前回「創価学会員としての歴史(2)」で学園に入学し、創価学会への多様な考え方があることを知った私。この進学が、創価学会としては皮肉かもしれませんが私の“覚醒”に繋がります。加えて私の現在を語る上で欠かせない人物ともこの学校で出会いました。

学園でできた友達はほぼ全員学会に対して懐疑的な人ばかりでした。私自身が心のどこかで疑いの心を持っていたから話が合ったのかもしれません。直接学会批判の言葉を交わしたことはほとんどありませんでしたが、学園内の祝賀行事をサボって遊んでいたという事実だけで当時の私たちは互いの思想の傾向性を理解しあっていました。そんな私達にとって学会内で叫ばれる「師匠への恩返し」なる考えも当然意味のないものでした。

学園生は池田先生との距離が近いらしく、激励と称して様々な品物を贈呈されます。私もいくつかいただいたことがありました。こういったことがあると、御礼のお手紙を書かなければいけない決まりがあったのですが、正直な話私はそれをありがたいと思ったことがありませんでした。前述の通り、そもそも池田氏を師匠と仰いだことがなかったのです。そんな人に対して何を御礼すればいいのか、私は自分に嘘をついてまで御礼文を書けるほど素直ではありませんでしたしね。

 

こうして学会への懐疑心を膨らませた学園時代。ませがきと言われるかもしれませんが、この時期に初めての彼女が出来ました。この人が現在の彼女でもあります。この彼女の事は別個で書きたいと思います。

 

学園内で歳を重ねること数年。段々と「自分」が確立されてゆくと同時に、納得できないものには全く同調することができなくなり、これまで平穏を保ってきた地元組織との関係でさえ、反抗をするようになりました。今まで参加してきた座談会や本部幹部会はともかく、年代別に分かれた会合には出席することがなくなりました。自分自身の中で出席する意味が薄れていたのです。親もそれをとやかく言うことはありませんでした。

思春期は自分なりの、組織との距離感を模索し続けた時期だったと、振り返ると実感します。