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学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

創価学会員としての歴史(1)

 

私は母方の祖母から続く創価学会員の家庭に生まれました。誕生とほぼ同時に入会です。私に選ぶ権利はありませんでした。ただ一口に学会員といっても、バリバリの活動家になる方もいれば私のように懐疑的で動かない者、学会に真っ向から立ち向かう者と様々です。私の場合父が外部だったこともあり、比較的学会色の弱い家庭だったと思います。(これは後に比較対象が現れたため判明します)

 

物心ついた頃には座談会や本部幹部会に母と参加。小学生になると少年部員会にも律儀に参加し、座談会では御書の拝読や未来部コーナーと称して様々な出し物を披露しました。私はこの時間がたまらなく嫌いでした。よくわからない大人の前で歌を歌ったり、リコーダーを演奏したり、何の意味があるのかさっぱりわからなかったのです。ただ地域のおじちゃんおばちゃん、そして何より母が喜んでくれるからやっていた、そんな感じでした。

 

子どものころから母に「御本尊様に足を向けてはいけない」「池田先生は素晴らしい人」と教えられてきました。ご本尊様を馬鹿にしたり、不敬をすると罰が当たる。それは池田先生も一緒だ、と。池田先生はこの世で一人、仏となった人なのだから素晴らしい人なのだ。池田先生は全てお見通しだよ、と。

何もわからない子どもも、これを毎回のように言われればそれが真実だと信じ切ってしまいます。学会から離れさせてはだめだという親心だったのでしょうが、冷静に考えればマインドコントロールの一種だったのかもしれませんね。

 

小学校高学年になると「創価学園」の存在を知ります。受かるかどうかはわかりませんでしたが、受験をしてみようと決意。受験勉強は合格への努力と言うよりも、勉強自体が楽しかったという気持ちの方が強かったです。

 

少年部として、理解せずとも何かを発表したり、創価学園の受験を決意したりと、外部から見たら積極的と思われがちですが、その思いはひとえに「母親に喜んでもらえる」というものでした。裏を返せば、創価学会を蔑ろにする態度をとれば母親に叱られるのだという一種の恐怖心があったのだと思います。