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学会3世の徒然日記

学会3世としてのことや、日常のあれこれを書いていきます。

優先順位

創価

 

最近新しい趣味を発見した「のら」です。あまり詳しいことは書きませんが、昔流行っていたものも時を空けて再び触れてみると新鮮味があって面白いものですね。何事も敬遠せずにまずは触れてみて、それから自分に合うかどうかを判断した方が得だと実感した次第です。

 

さて、創価学会では「女子部ロマン総会」というものを各地で開催するようです。役職持ちの彼女も当然参加することになったようですが、その準備やらなんやらで今月来月辺りは忙しいということは前々から聞いていました。もともと頻繁に会う機会を作ることができないため、月に1、2度のチャンスはかなり大きい!!

なのでなるべく拾い忘れの無いように日程をさらっていきます。私の方が融通の利く暮らしをしているので大抵は私が相手の予定に合せる形になりますが、それ自体に不満を持ったことは一度もありません。お互いに負担が無いように気遣いながら会えればいいと、私は考えています。

今回もそう思っていたので相手の指定した日程から、こちらの予定の合う日を選択して伝えました。恐らく贔屓目に見れば、その連絡を送った時間が遅かったこともあり地元の組織からの連絡と被ってしまったという事情があったのかもしれません。次の日に彼女から連絡がありました。

「会う日を変えられないか」と。

彼女曰く“どうしても外せない会合が入った”とのことでした。元来短気な私ですが、彼女や親しい相手には滅多なことでは怒りません。今回も怒りませんでした。それよりも寂しかった、と言う方が大きかったかもしれません。

お互い一人の時間を満喫するタイプの人間なので、そういった時間も尊重するためにあまり相手に干渉しすぎないよう心がけてきました。ですから会えない日の過ごし方を詮索するような無粋な真似はしません。また仕事の都合や家庭の事情など予定していた日程を変更しなければならない出来事もあるでしょう。そういった場合もそちらを優先しなければならないということも理解しているつもりです。彼女にとっては「学会の外せない会合」というものも同じような扱いなのでしょう。しかし私は、私よりも学会の用事を優先させたように見えてしまい、とても悲しくなりました。

一口に「学会の用事」と言っても色々なものがあり、どうしても外せないものがあるというのは仕方がないと理解はしているつもりでしたが、ここまでショックを受けるとは。そっちの予定を優先した相手に悲しくもなりましたが、何より腹が立ったのは、「人に言っておいて自分がやらないというのは示しがつかない」という使命感の強い人間だとわかった上で複数の役職を背負わせる組織のやり方です。

今、創価学会は人材不足です。これは火を見るより明らかです。そして現場は一人が複数役職を背負いながらなんとか回しているという所が多いのが現状。こういった運営状況は創価学会に、今の組織規模はもう限界だ、と言っているようなものです。運営が行き詰った時に気付いても、傷付くのは末端会員だけです。いや、そのことに気付きすらしないかもしれない。まさに「知らぬが仏」という状態でしょうか。そうなったときに彼女がどうなるのか、今はまだ考えられません。

私にとっての『創価学会』

創価

 

この辺りで私の『創価学会』に対する考え方を述べていきたいと思います。

 

創価学会への考え方としてはいくつかのパターンがあると思います。

①学会自体が好きではない

②学会も活動も好き

③学会は好きだが活動内容は好きではない

④学会は好きではないが活動が好き

主に上記の4つかと思います。私自身は①に該当します。

 

こんなブログを書いていてなんですが、私は創価学会の教義や活動内容を批判して、学会員を言い負かしてやろうとか、そんなことを考えているわけではありません。そんなことは私にとってなんの意味もないからです。彼女が活動家であるために悩んでいるだけであって、独り身であれば好き勝手していたことでしょう。

ですからどうか皆さん、ただ学会を叩きたいだけの理由で様々知識をつけ、書き込みをしているのであればそんな時間は無駄ですのでやめた方がいいと思います。ただ、少しでも学会関連で困ったこと、いやだと思ったことは意見として書くことです。一つ一つの意見は小さくても、それはいつか真実として浸透していくはずです。

 

閑話休題

前述の通り、私は学会と対決するつもりはありません。教義や活動内容が正しいかどうかなど、私にとってはどうでもいいこと。そもそも宗教教義などというものは正否を問うものではありません。宗教というのは人々が幸せになるための考え方を学び合う場だと私は考えています。幸せというものは一人ひとり違い、それによって軸とする考え、いわば思想信条は変わってくる。ですから人によって信じる宗教が違うことは当たり前なのです。以上の事から宗教に正否は存在せず、よって勝ち負けなんてものも存在しないはずなのです。しかし、残念ながら創価学会にはそのどちらもが存在しているのです。だからこそ私のような、それを受け入れることが出来ない人間にとっては居心地の悪い場所なんですね。ですから私は学会員でありながら2番のような立場をとっているんです。

 

そんな創価学会の体質は当然周囲との軋轢を生みだします。創価学会は「対話」を重要視し、対話によって連帯の輪を広げると宣言しています。その考え方そのものはとても素晴らしいことだと思います。戦争になってから外交で解決することは非常に難しいですが、戦争にならないような基盤を外交という「対話」によって作り上げることが出来れば、それは大変素晴らしいことですよね。しかし、創価学会のいう「対話」とはそのようなものではありませんでした。このことは次の記事にて詳しく書きたいと思います。

 

要は「自分たちの正当性・絶対性」を語ることが創価学会の「対話」であって、相互理解の場ではないということです。そしてそれを振りかざし勝負に打って出る。他宗を打ち負かしたと勝ち誇り、宗教界の王者と宣言しました。内部の人間からしたら嬉しいでしょうが、私にとっては全く持って理解ができませんでした。その姿は最早宗教と呼べる代物として私の目には映っていなかったからです。

元々信仰心の無かった私ですが、そういった経験を経て完全に見切って今に至る、というところでしょうか。私にとっては「思考を固定する拘束具」のようなものに見えます。学会員の方を見ていると多くはこんな方ばかりではないでしょうか。

一言断っておくと、そういった方ばかりではありません。外部の考えを理解してくれる方も多くはありませんが存在します。そういった方たちまでまとめて「創価学会はおかしなやつらばかり」と批判することは避けたいと思っています。何より私の彼女は真面目な学会員ですから。関係ないとは言いつつ切っても切れない存在なんですね。

信心強情な彼女との付き合い方

創価

 

今回は、「創価学会員としての歴史(3)」で出会った彼女との関係を書いていこうかと思います。

 

彼女との出会いは学園時代。そこから彼女はバリ活、私は非活へと進んでいきますが、なんだかんだうまくいっております。互いのスケジュールが合わず(主に相手が活動で多忙のため)月に2度会えればいい方ですが、それもちょうどいい距離感なのかもしれません。そんな交際期間を経て、学会員であるパートナーとのうまい付き合い方も学ぶことが出来ました。ポイントはたったひとつ。

 

 

創価学会や活動を批判しない』

これが最大のポイントです。

私達非活や外部の人にとっては創価もその中の活動も、ましてや池田大作氏への尊敬も存在しません。しかし、学会員は、外部には考えられないほどの忠誠心と尊敬を持ってその人生を賭けています。「信心は勝負」だなんて言葉からもわかりますよね。それを容易く批判することは即ち人生そのものを否定することに他なりません。外部の人は学会員であるパートナーに、学会での人生がすべてではないことを気付いてほしいが為、厳しい言葉をかけてしまいがちです。ですがそれでは全くの逆効果です。我々の思いであるところの“信仰は当人の意思を尊重してほしい”を通したいならば、相手の創価学会への信仰心も認めていくべきなのです。まずはそこがスタートラインであることを肝に銘じましょう。

 

とはいえ、お互いの権利を主張すると色々と弊害が起きてきます。

特に顕著なのは相手がバリ活であればあるほど二人の時間はなかなかとれない、ということ。選挙期間や学会にとって大事な時期は特に時間がありません。こちらが合わせるというようなレベルではなく、そもそも仕事と活動で空き時間等無いという有様。

これに関してはそういったライフスタイルの人と付き合っていると割り切ってしまった方が楽かもしれません。これを言ってしまったら元も子もないですが、学会員と付き合っているならば妥協が大事です。相手が覚醒する機会に恵まれるまでは妥協をし、問題は棚上げ状態にしておいた方がお互いの為だと思います。ただ逃げているだけだという批判も重々承知ですが、実際に付き合ってみると綺麗ごとだけでは解決できない問題がたくさん出てきます。それをいちいち表面化させていたら身が持ちません。結婚前に問題をクリアにしたい、という方がいらっしゃるのであれば何も言いませんが、どちらかが信仰・心情を捨てるゴールを目指すのであれば不毛な戦いになると思います。本来目指すべきゴールは、互いの思想信条を尊重し合える関係であって、妥協してどちらかの思想を受け入れ、同じように信仰するというのは間違った形だと、個人的には考えています。

 

ここまではあくまで“男女の付き合い”の上でのポイントでした。

しかし、年齢を重ねるにつれて意識するのはやはり「結婚」ですよね。私達も先日そんな話がぽろっと出ました。そこで改めて私の「信仰を否定するつもりはないが、私は今のところ関わるつもりはない」というスタンスをはっきりとさせました。彼女は困ったような顔をしていたのが印象的でした。

私が外部であれば話はもう少しマイルドになったかもしれません。しかし私は内部、曲がりなりにも学会員である身。そんな人間が「信仰はしない」と言っている。相手のご両親からしたら印象は最悪でしょう。そもそも信仰は個人の自由なのですから特定の信仰をしないことで印象が最悪、なんていう状況がおかしいのですが、創価学会では信仰を捨てる行為は「恩をあだで返す行為・師匠に背く行為」であって罰があってもおかしくないことだと教えられています。ですから 私は、相手のご両親からすれば「忘恩の輩・師匠の思いを無下にした裏切り者」であり、そんな相手との結婚は簡単に認めてるわけにはいかない、というところでしょう。

彼女に質問してみました。

「私が外部だった場合でも、やはり創価の信仰はしてほしいか?」と。

彼女の答えは「できればそうしてほしい」ということでした。

 

彼女は、相手の思想が自分の信じるものに近付いてくれればという思いと共に、両親と仲良くやってほしいとの思いから、創価の思想を持ってくれればという考えでした。同じ思想でなければ仲良く出来ないわけでも、家族としてやっていけないわけでもありません。そうしなければいけないのであれば最早創価学会はグローバル宗教団体でも多様性を認める人間主義団体とも言えず他者を認めない排他主義の独善団体に過ぎません。こんな言い方はしたくありません。しかし、こちらは創価学会の主義思想や活動を認めると言っているにも拘らず、こちらの思想は受け入れることが出来ないというのは、やはり排他的と言わざるを得ません。

 

話が脱線してしまいました。

本来は互いの、相手を思う気持ちが最重要であるはずの結婚が宗教観の排他性によって上手くいかなくなってしまう。又人が幸せになるはずの宗教によって悩む人間が出てきてしまう。これは本当に悲しいことだと思います。

私も含め、同じような問題で悩んでいる方はたくさんいらっしゃると思いますので、私自身の今後の動向も含め、結婚に対するアプローチなど参考になりそうなことは記事にしていきたいと思っています。

今回はあくまで「彼氏・彼女」との付き合い方という観点から書かせて頂きました。

創価学会員としての歴史(5)

創価

 

前回「創価学会員としての歴史(4)」で私の学会と学会員に対する疑問は固まっていきました。そして地元組織での出来事が、完全非活へと繋がっていきます。

 

私の地元学生部はそこそこ活動者がいる至って普通の組織でした。私がまだ学生部として顔を出していた頃、選挙権を得て初めての選挙がありました。当然選挙権のあるメンバーには選挙活動が期待されます。当時の地域学生部の幹部から集合の号令が何度もありましたが、私は行く気にはなれませんでした。そもそもなぜ自分が幸せになるための信心が特定政党を支持することにつながるのか、私には理解が出来なかったからです。今となっては理解できない人間でよかったと思いますが。

なかなか号令になびかなかった私の元に学生部幹部が訪問してきました。そして、選挙の重要性や公明党の実績、そして友人にそのことを語ることの素晴らしさを語り始めました。こういった場面で自分の立場(選挙活動はしない)をぶつければよかったのですが、当時の私は実家に暮らしており、母親がいる手前はっきりと話すことが出来なかったのです。当時は母もしっかりと活動していましたから。

私の曖昧な態度に業を煮やしたのか、はたまたいけると思ったのかこう切り出しました。

「幼稚園の名簿はある?多分小学生時代は個人情報の関係で作ってないと思うから」

私はその発言の趣旨がよくわかりませんでした。すると

「電話でも訪問でも、選挙頼んでみようよ。懐かしいだろうしいい思い出だよ!」

要は選挙を頼むための当たり先を出してこい、と言うことでした。その名簿を元に公明党を支援してくれる人を探し出してこいと。この、人の交友関係をただの票集めの道具のように扱う様はまさに「選挙屋」そのものでした。この時は選挙が自身の功徳につながるとかそんな話すら出ず、ただただ公明党を勝利させることが、師匠である池田先生への恩返しになるというその一点だけだったのです。

当然そんなことに友人を関わらせようとも思えず、その場は何とかはぐらかし帰ってもらいました。会合へは信仰心からではなく、母親の機嫌を取っておきたいと思い参加していた私からすると、公明党の勝利も、池田氏への恩返しも関係のないことでした。

もっと言えば私が頼んだからとほいほい投票先を変えるような友人100人よりも、自分なりの意見を持って真正面から政治の話ができる友人が10人いれば私は満足です。

 

この考え方は折伏にもつながります。

私が選挙権を得る前に、創価学会として重要な「2月闘争」が巡ってきました。…正直何の事だか未だに理解していませんが。この時期は各各組織の折伏目標を達成するため、どこも躍起になっています。このときも件の幹部が「折伏しよう!」との声掛けに訪問してきました。地元での交友がほとんどなかった私は折伏どころか遊びに誘う外部の友人などいなかったのです。このことを挙げ、折伏は無理だと話しました。すると幹部は

折伏できる友達を作らせて下さい、悩みのある人間と出会わせて下さい、ってご本尊に祈るんだよ!」

との指導。もう、全く訳が分かりませんよね。なんでわざわざそんな友人を祈って作らなきゃならないんでしょうか。周りに悩みのパッと浮かばない人間しかいないならそれでいいじゃないですか。切羽詰まった悩みがある人間なんかそうそういないんです。それを祈って見つけろだなんて、幸せになる信仰の真逆を言っているようにしか私には感じられませんでした。

 

こういった組織での出来事が、完全に私を組織から遠ざけました。これでよかったんだと思います。そもそも読んで字の如く自分が「信じて仰ぎ見る」存在だからこその信仰なんですよね。それが創価学会にはありませんでした。信じているかどうかは関係ない。親が、子どもが創価学会を信じられるようにどう教育できたか、それが大事なわけです。その時点で創価学会は宗教と呼べる代物ではないと私は考えています。

 

この辺りで私の創価学会員としての振り返りを終わりたいと思います。

こうして振り返ることで、私がどの点でどう感じ、今につながっているのか、なんとなく自分自身が理解できたような気がします。

次回は真面目な学会員の彼女とのエピソードか、私なりの「創価学会」に関して書いていこうかと思っています。

創価学会員としての歴史(4)

創価

 

前回「創価学会員としての歴史(3)」で、組織との関わり方に関して自分なりのスタイルを模索した、と書きました。その模索が大学生になり遂に確固たる形として確立します。

 

大学は創価大学でした。当然内部率、つまり創価学会員率が高いです。様々な授業が存在しましたが私は文系だったため宗教や哲学に興味を持ち、そういった方面をいくつか受講しました。そういった講義内ではやはりと言うべきか、創価学会池田大作氏の話を出す講師も存在しました。そういった話が出ると大きくうなずきながら真剣にメモを取る学生が非常に多かったように感じます。それほど学会や池田氏に関する知識は、創価大学生にとって重要だったのでしょう。

 

印象的だったエピソードがあったので、ここで一つ紹介します。

私が歴史学系の講義を受講した時のことでした。

当講義は終了後、講師が学生との懇談時間を設け歴史や宗教観など多岐に渡るディスカッションを行っていました。これに友人と参加した時です。ほかにも何人か学生がいましたが、その中の一人に外部、つまり創価学会員ではない学生がおり、その方がぽろっと漏らしたのです。

創価大学の学生は自分がない。みんな作られた機械みたいに同じことしか言わない」

まさにそうだと思います。池田氏創価学会の知識は創価学会から教わったもの。当然皆が同じような知識しか持ち合わせていません。学会の勧誘である「折伏」時にはこの知識を総動員して相手を勧誘します。恐らくこの学生も何度か折伏されたのでしょう。その経験あっての発言だったのだと思うのです。

「皆同じことしか言わない。機械みたい」

この言葉は既に学会員ながら非活を決め込んでいた私の胸に深く刺さりました。私も何度か地元の学生部長に“折伏をしよう”と詰め寄られていましたが、我々がやろうとしていたことは外から見ればこの程度にしか見られていない、むしろ折伏で時間を取らせてしまうことがとても申し訳なく感じられました。

…まあ折伏なんて一度もやったことないんですけどね。(笑)

 

これと同時期に地元の学生部で、やはり創価学会とその活動に違和感、いや疑問が浮かんだ出来事がありましたがそれは次に書きたいと思います。

創価学会員としての歴史(3)

創価

 

前回「創価学会員としての歴史(2)」で学園に入学し、創価学会への多様な考え方があることを知った私。この進学が、創価学会としては皮肉かもしれませんが私の“覚醒”に繋がります。加えて私の現在を語る上で欠かせない人物ともこの学校で出会いました。

学園でできた友達はほぼ全員学会に対して懐疑的な人ばかりでした。私自身が心のどこかで疑いの心を持っていたから話が合ったのかもしれません。直接学会批判の言葉を交わしたことはほとんどありませんでしたが、学園内の祝賀行事をサボって遊んでいたという事実だけで当時の私たちは互いの思想の傾向性を理解しあっていました。そんな私達にとって学会内で叫ばれる「師匠への恩返し」なる考えも当然意味のないものでした。

学園生は池田先生との距離が近いらしく、激励と称して様々な品物を贈呈されます。私もいくつかいただいたことがありました。こういったことがあると、御礼のお手紙を書かなければいけない決まりがあったのですが、正直な話私はそれをありがたいと思ったことがありませんでした。前述の通り、そもそも池田氏を師匠と仰いだことがなかったのです。そんな人に対して何を御礼すればいいのか、私は自分に嘘をついてまで御礼文を書けるほど素直ではありませんでしたしね。

 

こうして学会への懐疑心を膨らませた学園時代。ませがきと言われるかもしれませんが、この時期に初めての彼女が出来ました。この人が現在の彼女でもあります。この彼女の事は別個で書きたいと思います。

 

学園内で歳を重ねること数年。段々と「自分」が確立されてゆくと同時に、納得できないものには全く同調することができなくなり、これまで平穏を保ってきた地元組織との関係でさえ、反抗をするようになりました。今まで参加してきた座談会や本部幹部会はともかく、年代別に分かれた会合には出席することがなくなりました。自分自身の中で出席する意味が薄れていたのです。親もそれをとやかく言うことはありませんでした。

思春期は自分なりの、組織との距離感を模索し続けた時期だったと、振り返ると実感します。

創価学会員としての歴史(2)

創価

 

前回記事「創価学会員としての歴史(1)」にて創価学園受験を決意した私。

学園を受験するにあたってどうしても避けて取れないのが「勤行・唱題」でした。これはご本尊に向かってお経を唱えることです。私はこれが大嫌いでした。親には口うるさく言われていましたが自発的に行うことはなく、会合に行った際に三唱する程度でした。しかし気付けば地区の学会員に受験の事が広く知れ渡り、「学園受験は何が起こるかわからない。勉強だけじゃ受からない怖さがあるよ。しっかりお題目をあげなきゃね」と煽られ、結局朝5時に起きては2時間の唱題、それからご飯を食べ勉強という生活スタイルにチェンジ。我ながら驚きの変化です。私の短い人生の中であれだけ唱題をしたときはないんじゃないかと言うほどの頑張りようでした。

 

学園を受験したのは母に喜んでもらうということだけではありませんでした。

オープンキャンパスで学園を見学したときのこと。学園の生徒さんがとても礼儀正しく、さわやかな雰囲気を醸し出していたのです。地元の学校の評判も聞いていた私は俄然学園受験に燃え始めたのです。

そんなこんなで学園を合格した私ですが、このことによって信心の確信を得たとかそういうことはありませんでした。というのも、確かに人生の中で一番唱題をしましたが、自分自身の勉強に対する頑張りの自信の方が断然あったからなのです。なんていったって、この頃の私は寝る間を惜しんで勉強していましたから(笑)

 

学園に入学してみると私の想像とは違う光景が広がっていました。創価一貫教育なんて言われていますが実際には「池田先生がなんぼのもんじゃ!」「創価学会がなに?」という生徒も多分に存在していたのです。まあそうですよね。思想や尊敬する人間なんてものは個々人が自ら見つけるものですから。与えられたものに不満を持つ人間が出て当たり前なんです。

今まで創価学会に対して不満を持ちながらも疑問を持ってこなかった私でしたが、こんな同級生達と過ごすうち、徐々に疑問を持ち始めます。

そしてこの学園生活の中で、現在の私を語るうえで欠かせない人間が出てきます。

それは次の機会に。